BGM/Blue moon #1 "Monday: the immorality"

SPRING NIGHT

 満ちた月の淡く確かな光の中、桜は白く浮かび上がっていた。
 さらさらと散る花弁が微かに光を帯びて、そこは現とは思えぬ程に幻想に満ちている。

 時はすでに、月が中天に輝く深夜である。にもかかわらず、桜の根元には小さな人影があった。 

 一時の儚い美しさのみを肴に、影はひとり酒を喉に流し込む。
 緑眼に映るは夜桜。しかしその瞳は、手繰り寄せる必要もなくあふれだした古い記憶…過去の景色を観ていた。



 「なんだいベリル、僕に見せたいものって。こんな時間にこの僕を叩き起こしたんだから…
  大した物でなかったら、分かってるだろうね?」

 奈落の土だよ、と不機嫌そうに言ったその表情は、言葉とは裏腹に笑みが浮かんでいる。

 空を舞う術を持たぬ、地上の生物。
 その手に引かれるままにゆっくりと低空を飛ぶ堕ちた天使の背に、満月に照らされた六枚の翼が軽く翻った。

 「いったいどこまで行くんだい?君の足に合わせていては、帰る頃には夜が明けてしまうよ」

 「もうすぐ着きますから。すみません、お疲れなのに…。でも、どうしてもセレス様に見せて差し上げたくて」

 申し訳なさそうに発した声は真剣で…そしてあまりにも懸命で。さらに歩調を速めた少年の狭い背中を見ながら、
セレスは少し笑った。

 二人で永遠の時を歩み始めてから、もうどれ位の年月を重ねたか分からない。
 自分達同様、この世界にも変化が見られなくなってから、はたして何年経っただろう。

 世界に想いを馳せ始めた時、ようやく少年の足が止まった。

 「セレス様、着きました。ほら、見てください」

 息を切らしながら笑って振り返ったベリルの向こうには、満開の桜の木が静かに立っていた。

 人気の無い丘は桜の花と共に月明かりに淡く浮かび、遠くに見える小さな川は、星々が集ったかのように
ひらひらと輝いている。

 「今日のこの時間が、一番綺麗に見えるだろうなって思って。…セレス様…?お気に召しませんでしたか?」

 不安そうな声に我に返り、不本意ながら地上の景色に見とれていた自分にセレスは苦笑した。

 「いや、気に入ったよ。ありがとう、ベリル」

 セレスが慌てて笑みを向けると、ベリルも嬉しそうにふわりと微笑んだ。

 丘の上に並んで足を投げ出し、時間も忘れて心地よく景色に溶け込む。
 柔らかな風が髪を撫で、花びらを伴って通り過ぎていく。

 「…まだこの世界も、捨てたモノじゃないね」

 「はい」

 「君は…。…いや、何でもないよ。気にしないでくれたまえ」

 不思議そうに首をわずかに傾げた緑柱石の瞳から眼を逸らし、その瞳が見付けた美しい場所に視線を向けた。

 …もしかすると、彼は気付いていたのかもしれない。

 変わらない自分、変わらない日々、そして変わらない世界。
 日に日に大きく膨れ上がる焦燥と倦怠と、そして失望。

 その果てに自分が歩むであろう道は、おそらく彼が最も望まぬ世界へ続いているのだろう。

 「…君は僕の味方だね、ベリル。…たとえ、何があっても」

 「…はい、セレス様」



 誓いの言葉は記憶と共に時に晒され、風に溶けて。



 新緑を踏む足音に、現実に呼び戻される。

 振り返ると微笑んでいるのは、あの方…。

 そんな幻想を抱いてしまうのは、まだ幸せだった頃の記憶の夢の余韻だろうか。
 足音の間隔と気配で、背後に立つ者が誰であるかはすでに知れているのに。

 「…ここにいらしたのですか、マスター」

 呼ぶ声は、少年のまま時を止めたこの体から発せられる時はこない、低く響く声。

 振り返りもせずに身体を伸ばし、ベリルは溜め息をついた。

 「あーあ、見付かっちゃった。…まぁ、君も座りたまえ。桜も月も綺麗だよ」

 笑って誘うと、何か言いかけた言葉を飲み込み、たっぷり5秒ほど間を置いてから、ようやく諦めたように
ジルも木の根元に腰をおろした。

 「…ああ、少し酔ったみたいだ。ちょっと眠ろうかな」

 上目使いに見上げた顔は、無表情に黙っている。

 「…全く。気が利かないねぇ、君って男は」

 「は…」

 不機嫌な声をあげると、やはり無表情のまま短く返答し、しかしどうしたものかと思案しているのだろう、
わずかに首をかしげた。

 その長身に似合わぬ一連の動作に内心だけで笑い、しかし不機嫌を装って言葉を続ける。

 「肩。しばらく借りるよ」

 返事も待たずにその肩に寄りかかって目を閉じた。

 もう二度と、並んで語らい、笑みを交わせる日は訪れない。

 それでも、幸せだった頃の記憶は確かにここにある。いつか記憶が薄れて消えても、この心の奥底にはしっかりと
刻まれているだろう。

 ジルの存在に自分が救われたように、自分の存在が彼の存在の証になるのなら、生きていける。
いつかこの身が滅びる時まで。

 「…マスター?…」

 静かな寝息を立て始めた少年の肩に、ジルはそっと薄い外套をかけた。



 輝き流れる水にゆらゆらと月はたゆとう。

 傾き始めた月の明かりの丘に動くは、春風に舞い散る桜だけ。


Fin.

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そろそろ桜の季節だなぁ。なんて思って、今回の話は書き始めました。

ただ夜桜を書きたかっただけなんて、そんな!花見=酒じゃあ!!なんてそんな!!

…え〜、今回は曲を聴きながら、そこから来るイメージで4時間かかって書きました。長っ。
曲の美しさとかかった時間に見合わぬヘロい文なのはいつもの事なのでさて置いて。

文中、第三者視点(つもり)。
セレス様に様を付けるわけにはいかず、しかし付けないと不自然で…困惑。