FINALE

 秋、冷たい雨が静かに降りそそぐ街の片隅。白い囲いの墓地に、子供が一人、ぼんやりと佇んでいた。
 半袖から伸びた雨の雫が伝う白い腕には、無数の痣が浮かんでいる。

 止む気配のない雨を気にする様子もなく、その少年は、ひとつの墓標の前を動こうとしない。
 雨に洗われた白い墓標に刻まれた両親の名を、彼はゆっくりと指でなぞった。

 両親は遠い所へ行ったのだと大人達は口を揃えて言ったが、彼の心はもう、死を理解できぬほど幼くはなかった。

 前髪からぽたぽたと落ちる雫を見る青い瞳は、両親と共に自分の前から姿を消した弟の姿を思い出そうとしていた。
 大人達が「行方不明」だとしきりに言っていた、大事な弟。彼は今、何処にいるのだろう。淋しくて泣いてはいないだろうか。

 季節の変わり目の、かすかに冷たい空気に当たったのが悪かったのか、弟は熱を出した。
 元々体が弱かったから、そんな事はしょっちゅうあったし、病院に出掛ける両親と弟を見送るのにも慣れていた。

 彼らは数時間で帰ってきて、家中に広がるのは、温かな夕食の匂い。
 両親の目を盗んで寝室に入り込み、寝ている事に飽きた弟に本を読んで聞かせる。

 自分がこっそり部屋に入ると、嬉しそうに笑う弟の顔が好きだった。
 忍び込んでいたことに気付いた両親の、少し困ったように笑う顔が好きだった。

 そんないつもの風景が、もう戻らない。最後に聞いた言葉さえ、思い出せないのに。
 泣けなかった。ただ、自分の中が空っぽになった気がした。

 叔父の家へ戻る気は無い。引き取られてから毎日のように刻まれた全身の傷の痛みが、命の危険を訴え始めていた。

 ―けれども、今、自分はどうしようもなく一人だ。

 ふいに、薄い影が少年の影に重なり、雨がひたりと止んだ。

 「風邪引くぞ?お前、もう随分ここに立ってるだろ。家は?誰か待ってるのか?」

 その髪と同じダークブルーの傘を傾けて、青年は呆れたように笑っていた。
 一瞬戸惑って、それからゆっくりと首を横に振る。情けないような、嫌な心持ちになって、ただ俯いた。

 「行くアテ、ないのか?んー…ウチに来るか?面白い物なんて何も無いけど…それでよければ、おいで」

 優しそうなダークブラウンの瞳が笑っている。
 しかし、少年はもう一度首を横に振った。

 「…迷惑…だろ…?」
 「バーカ、ガキが遠慮なんかするなって。…大丈夫だよ。お兄さんの事、信用できない?」
 「…」

 疑っているわけではないが、手放しで信用出来る自信も無かった。
 返答に困って黙っていると、青年は長身を屈めて、視線の高さを合わせて悪戯っぽく笑った。

 「そうだなぁ…。とりあえず、この雨が止むまで、うちに居てみないか?」

 子供のような笑顔で、面白そうに言葉を続ける。

 「気が向いたら、その怪我が治るまで。もっと気が向いたら、ひとり立ち出来るまで。
  お互い嫌じゃなければ、その先も同居人。気に入らなければ、いつ出て行っても構わない。
  …俺も昔、そう誘われた。で、今も生きてる」

 「…弟に、また会えるかな…」
 「よく分らないけど…お前が生きて、弟君も生きていれば…会えるかもね。さて、行きますか?ええと―」
 「…セシル、セシル・アンダーソン…」
 「俺はアイシア・ウィリス。初めまして、それとよろしく、セシル」

 どこまでも温かく優しいおどけた声に、少年は、居場所を見失ってから初めて泣いた。

 ―孤独が、終わった。