KEY WORD


 長年連れ添った妻が死んだ。

 元々政略結婚である、見知らぬ女性との強制的な結婚の果てに、愛情などある筈もなかった。

 それでも長い結婚生活の中に、妻に対する幽かな愛情を男は感じていた。

 妻にも、自分に対する愛が、多少なりともあったのだろうか。

 本人亡き今、それを知る唯一の物やも知れぬ、妻の愛用していたパソコン。

 暇つぶしくらいにはなるかと思ってそれを起動させたが、ユーザーパスワードが設定されており、すんなり

と入る事は出来なかった。

 パスワードのヒントは、『私の好きな言葉』。

 あまり多くはない夫婦間の会話の記憶から、男は妻の好きだった本や歌、映画等の言葉や台詞、タイトルや

作者名、果ては本人や友人の名を思いつく限り入力してみたが、明るいモニターに一言、パスワードが違いま

す、と表示されるだけだった。

 半ば諦めかけたとき、ふと男の頭に思い浮かんだ言葉があった。

 最初の子供が生まれたときに、疲労しきった妻に男がかけた言葉。


 「お、つ、か、れ、さ、ま…お疲れ様…お疲れさま…。どれも駄目か」


 無情に表示される無機質なエラー通知に、男はふうと溜め息をこぼした。


 「だいたい、俺の言葉である筈が無いか…」


 やはり彼女に、自分に対する愛情など無かったのだ。

 予想以上の落胆ぶりに我ながら苦笑して、男はパソコンの電源を切ろうとした。

 再びふと思い出した言葉を入力しかけて、しかし手を止めた。

 しばらく考え込み、やがて意を決してキーをゆっくりと叩く。

 チリチリとデータを読み込む音を立てて、すんなりとパスワードは受理された。

 しかし、男はパソコンのデータを調べもせずに、静かにその電源を落とした。

 『いつか愛し合えるようになろう』

 パスワードは、男のプロポーズの言葉。

 自分たちの意思に関係なく婚約させられた二人の、せめてもの誓い。

 妻を亡くして二週間。

 胸に染み渡る妻の愛情に、男は初めて声をあげて泣いた。


Fin.


4th囁きピエロ、[KEY WORD]。
キーワード=パスワード、ちょっと安直過ぎましたか。

04.02.