LAND SCAPE

 空には美しい星星、蒼い月はふたつ、世界は夜、けれど地面を覆う草原は日光の下に見るように明瞭。
 草の中に隠れる水たまりは、目に見えずとも、感覚にははっきりと映り、けれど触れても濡れることはない。

 黒いコートに黒い帽子、長身がふたつの月を見上げる横。

 ひらりと舞い降りる影には、三角耳とかぎしっぽ。
 服を着た、二足歩行の、人の形をしたネコ。

 「やぁ、いい夢だね。帽子のステキなお兄さん」

 ネコビトの気さくな声に、黒長身は帽子を軽く持ち上げ、挨拶をしてみせた。

 夢渡(ゆめわた)り。
 夢を行き来して、曲や石や絵を生み出す人々。

 ネコビトが風に長いヒゲをなびかせ、甘い声を投げかけた。

 「お兄さんは、渡り始めて何年目です?」

 帽子を深く被り直し、黒い長身は低い音を奏でる。

 「さぁ、数えた事が無いからね。十年くらいかな」
 「何を作っているんです?」

 「曲を」
 「ああ」

 納得したように、ネコビトは頻繁に頷く仕草を繰り返した。

 「夢渡りの曲は、今人気ですものねぇ。いや、音楽に疎い私には、細かいことはさっぱりですが。
  私の仕事はね、これです」

 ネコビトがごそごそとポケットを探って取り出したのは、色とりどりの宝石。
 どれも透明度が高く、月明かりにきらきらと輝いている。

 黒長身が尋ねる前に、ネコビトが背を丸めて、誇り高く解説を始めた。

 「製法はお教えできませんがね。幻のような、この一夜の夢にも、ひとかけらくらいは
  物質が混ざり込んでいるものなんですよ。もちろん、午睡の夢にも、うたかたのまどろみの夢にも。…おっと」

 ぽろりとポケットから転げた石を拾い、ネコビトは苦い笑いで、拾ったばかりの石を黒長身に見せた。

 「しかし、怖い夢。あれはいけませんなぁ。ホラ、どうにも石が濁ってしまう」

 ネコビトの前足に乗せられた石は、なるほど、路傍の石よりも暗く、なにより魅力がない。

 濁り石を弄びながら、ネコビトはひくひくとヒゲを動かし、黒長身を見上げた。
 金緑色の大きな瞳に、蒼い月が映っている。

 「お兄さんは、最近どんな夢に入りました?私がここに来る前に覗いた夢は、この濁り石のように、
  深くて暗い、死人が歩いて人を襲う世界でしたが」

 黒長身の、帽子の下の小さな目が、ふと遠くを見た気がして、ネコビトは視線の先を追いかけた。星空。

 「広い夢…そう、どこまでも果てない世界。遥かな、草原、空、風」

 視線をネコビトに戻した黒長身の目が、細く笑う。

 「そのうち、全てを忘れて寝転びそうになりました」
 「夢に呑み込まれたら、夢の主が目覚めた時、私らはどうなるんでしょうかね」

 「閉じ込められるんですよ。次にその夢の蓋が開くまで、その世界にまどろみ続ける」

 さらさらと風が、ネコビトのヒゲと黒長身のコートを揺らした。黒長身が帽子に手をかける。

 「その夢が素敵な世界なら、それも悪くない。だが、運悪く悪夢だったら―」
 「うへぇ」

 慌てて顔を洗い始めたネコビトの、へたりと座った三角の耳を見て、黒長身は微かに笑んだ。

 風が吹く。彼らのヒゲやコートは揺れるが、柔らかな草原は、ひらりとも動かない。
 ゆらゆらと双子の月が動き始め、次の瞬間には、その形は変わっていた。

 そう、ここは非現実。今まさに眠りの海にたゆとう、誰かの見る夢。

 黒長身が、言葉を紡ぎ始める。

 「ここは()が夢ぞ、()が心ぞ。ここにある我は、夢か、流木か」
 「見知らぬ客人(まろうど)よ、夢渡りよ。海市(かいし)にたたずむ人影よ」

 ネコビトが続く。

 夢渡りの間で、この詩を知らぬ者はない。
 現実的な非現実世界で、現実の生物が己を見失わない為にと、編み出された言葉。

 「パルダクス、パルダクス。ラディケル・パルダクス。願わくば、旅人よ」
 「その手に世界を、その手で永遠(とわ)を」

 二人はしばらく、じっと動かずにいたが、やがて、ネコビトが口を開いた。

 「一番の悪夢って、どんな夢でしょうね」

 夢に耳を傾けたまま、黒長身が答える。

 「夢の中に悪夢はないさ。どんな夢でも、現実ほどには、歩む道に戸惑うまい。
  たとえ戸惑っても、やがて覚めるのだ」

 「なるほど」

 小柄な身を屈めて、ネコビトは足元の水たまりをすくった。
 並べ合わせた二本の前足の隙間から、サラサラと水は零れ、風に消える。

 ひとかけらの結晶が、彼の前足に所在なく取り残され、きらきらと淡く輝いていた。


Fin.


18作目囁ピエ、[LAND SCAPE]でした。
"LAND SCAPE"という響きが都会的・現実的に感じたので、舞台は夢に。

夢のような、ふわふわと掴み所のない雰囲気を目指しました。

2004年5月


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