OVER DOSE ※ブラウザ1024×768対応背景使用


     きらきら煌く淡い光の粉を、老人はひと息に飲み下した。

     薄い雲に覆われた月の下、街にはほつほつと明かりだけが灯っている。

     地上に広がる夜空を眺めながら、老人はその長身痩躯をソファに沈めた。

     小さなテーブルの上に置かれた硝子のコップが、煌々と蒼い光を零し始める。
    その光を受けて、柔らかな木製のテーブルが、水のように聡明な水晶に変わっていった。

     足元にすり寄る、黒猫のビロウドのような毛並み。


     そうしているうちに、老人の暗い部屋は、すっかり美しい森に変わっていた。

     こんこんと湧き出る小さな泉は優しい桃色、温かな雪の上には小さな足跡が無数に落ちている。
    青い空には薄紫の雲がゆっくりと流れ、遠くの若緑の丘にするりと立つ桜が、さらさらと淡い花弁を流し続ける。

     使い古され、すっかり擦り切れたような老人の心に、それらの風景は優しく染み渡っていった。

     頬を撫でる風に老人は目を閉じ、深く息を吸った。


     ふっと止んだ風に、老人はまどろみかけた瞳を開いた。

     どこまでも黒い、小さな箱の中に密封されたように空気の淀んだそこに、
    ちらほらと懐かしい顔が浮かんでは消える。

     傷付いた記憶、傷付けた記憶。遠く過ぎ去ったはずのそれらが、濁流となって老人を責め苛む。

     今更何の用だ。すっかり老いぼれたおれに、何のつもりでこんなものを見せるのだ。

     うめいて抱えた老人の頭を、ふわりと柔らかな白い腕(かいな)が包んだ。

     振り返るとそこには、先立った妻の、始終変わる事の無かった優しい笑顔。

     彼女の微笑に包まれて、彼女の差し出した白い手を、老人はそっと取った。


     いつの間にか老人の部屋は、あの美しい森でも、ただ黒くて狭い空間でもない、小さな普通の部屋に戻っていた。

     ソファに沈んだ老人の、もう動かない手足はすっかり投げ出されていたが、皺の折り込まれた顔には、
    ただただ幸福に満ちた表情がいつまでも浮かんでいた。

    Fin.


    7作目の囁ピエ、[OVER DOSE]でした。
    直訳で"規定量を超える"、なんだか危ない話です。

    痛みを含んだ心象風景、大好き。

    04.06.



    戻る