遊園地の片隅で、道化師は、いつも心から笑っていた。
『道化師の心の中は、悲哀や苦悩でいっぱい。けれど、それを隠して、今日もピエロは笑顔を浮かべる』
そんな勝手な事を言ったのは、いったい誰なんだい?
今日も楽しくて仕方がない。あまりにも面白くて、笑い死にしてしまいそうだよ。
だって、仕方がないだろう?コーヒーカップも、メリー・ゴーラウンドも、観覧車も、あんなにキラキラ
回っているんだから。
今日も子供たちは嬉しそうに飛び回って、アイス・クリームは、あんなにも愛らしい姿を誇っている。
おれのジャグリング・ボールはころころ跳ね、観客達がつまらなそうに去っていく。
あぁ、おかしい。あのしかめっ面をごらんよ、なんてミス・マッチなんだろう。ここは楽しい遊園地だよ?
ぽふぽふと歩み寄ってくるウサギの着ぐるみ、にっこり裂けた口のまわりはどうだい。
トマト・ソースをたらふく舐めたのかね、あんなにもベタベタと真っ赤に汚してさ。
ウサギの着ぐるみが、ぱふんと道化師の隣に座った。
晴れた日曜日の遊園地は、気分良好・オールグリーン。
青い空に白い雲、緑は青々と枝を広げ、遊具はカラフルにてらてらと輝く。
並んで座る道化師の真っ赤な鼻も、ウサギの着ぐるみの赤く汚れた口まわりも、てらてら輝く。
「ピエロさん、今更だけど、こんにちは。ご機嫌いかが?」
人懐っこくウサギが笑った。着ぐるみ自体が笑顔で作られているが、それだけじゃない。
少しくぐもったウサギの声が、たしかに笑った。
道化師は、ポトポト転がるジャグリング・ボールを指して答えた。
「あんな風に跳ね回っているよ。今日も、実に楽しい日だ」
道化師の顔に貼り付く、口の両端をにくりと上げたメイク。しかし、彼の口は、いつでも笑っている。
ウサギは変わらぬ表情をわずかに地面に向け、手に持った風船をゆらゆら揺らした。
「ピエロさん、きみは変わってるねぇ。いつも心から笑っているピエロなんて、聞いた事がないよ。
心の奥底の孤独な苦しさや辛さは、きみにもあるでしょ?」
「いや、ないよ。全てが輝く美しいこの世界のどこに、苦しみや辛さが存在すると言うんだい」
ウサギの風船をゆらゆら揺らすのは、果たしてウサギか、風か、透明な幽霊か。
「人の心の中さ。お客さんに笑ってもらえない時、上司に怒られた時、突然の雨に降られた時は?」
「遊園地で笑わない人なんて、おかしくて仕方がないさ。上司の怒り顔は、一人で真っ赤にゆであがって
滑稽だ。雨から頭をカバンで庇いながら走るのは、とても楽しいよ。そうだろう?」
それに、きみのケチャップまみれの口まわりもね。ピエロは一層笑った。雲が流れる、ゆっくりと。
ウサギが地面から空へと視線を移す。白い太陽光に、血のように赤い口まわりが、鮮やかに浮かんだ。
「ぼくはね…ぼくにはね。全てがきみの逆に見えるんだろうね」
空は灰色、ぐるぐる回る遊具は愚直なまでに、同じリズムで光を反射する。走り回る子供たちを追いかける
大人の顔は、顔の底に刻まれた形は、醜く歪み。
痩せたハナミズキの、下品に広げられた花弁の下で、延々と手回しオルゴールを奏でるパントマイム男。
その透明な音楽に輝く悲哀は深く、しかし煌々と。
隣に座る道化師の諦めた笑顔は、全てを嘲り…そしてウサギは、真っ赤な口で漫ろゆく。
「ウサギさんは不幸なのかい?」
「ううん。見えるものが正反対でも、ぼくにとっては、これらが幸福なのさ。肝心なのは、心。世界は
いつも、受け取る心次第だもの。きみ次第、ぼく次第」
「まさに。おれ次第、きみ次第」
パントマイム男が歩き出した。クマの着ぐるみが、アイス・クリーム売りが、ミラーハウスの切符切りが、
あぶれたメリー・ゴーラウンドの馬が、忘れ去られたゲームの景品のぬいぐるみが、彼の後に続く。
ウサギの着ぐるみが立ち上がった。
「さぁ。ぼくらも行こうか。こちら側は、もう、ぼくらのあるべき場所じゃない」
「ああ、そうだね」
道化師も立ち上がり、ふたりは列に加わった。
奇妙な行列に、ウサギの真っ赤な口と、道化師の下手くそなジャグリング・ボールが、しばらくちらちらと
覗いていたが、やがてゆっくりと溶け込み、いつの間にか、行列はどこにも見えない。
子供たちの喚声と楽しげな音楽の中、ウサギの持っていた風船が、ふらふらと空へ昇っていった。
Fin.
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