春に降る雪


       ゆきだるまは、ほぅと息をして、どんより白い空を見上げた。

       凍えそうに頑なな空気は、それでも日に日にぬるくゆるく解けて、
      静かに眠る木々の節々に、やわらかな芽をふくふくと膨らませる。

       柔らかな芽のそっと甘い香を思い浮かべるゆきだるまの横に、
      びちょびちょと小さな足跡を刻みながら、みぞれが腰を下ろした。

       「ぼたんゆきはぽとぽと、北に着いたかな」
       「うん」
       「さらさら粉雪ときらきら細雪も、もう旅を始めたよ」

       ゆきうさぎもね、と言いかけて、ゆきだるまは、ほぅ、と涼やかな息を吐いた。
       ゆきうさぎ。真っ赤なナンテンの瞳と椿の深緑色の耳が、真っ白な体に愛らしく輝いていたっけ。

       ゆきだるまが冷たい脳漿から記憶を掘り起こす間に、みぞれはひたひた歌い始めた。

       「春が来るよ。ぼくは春と冬のすきま風、ひたひた」

       みぞれの長い袖から生温い水が零れて、ゆきだるまの顔や体に小さな窪みを落とす。

       ぽとりと雪の中に落ちた焦げ茶色の椿の実を拾い、ゆきだるまはそれを眼窪に戻した。
       重そうな雲を敷き詰められた空は、息苦しそうにゆらゆら揺れている。

       やがて、灰色の空から白い雪が降り始めた。水を含んでひたひたと重い、春の雪。

       「春が来たよ。ぼくもひたひた、北へ向かわなきゃ」

        紅い長靴が、ゆきだるまとみぞれの前をスポスポ通り過ぎた。

       「…春」

       ゆきだるまは、またほぅと息をついて、自分の丸い体を見下ろした。
      ムラサキシキブの細い枝でできた両腕が、穏やかな風に揺れている。

       「春の後には、もっと暑い春が来るんだって」
       「冬はきらきら、春はからから。もっと暑い春、ぎらぎら」

       ひと息吸って、みぞれは歌を続ける。
       「ぼくは北へふわふわ、きみはここでドロドロ」

       くつん、とゆきだるまの心が痛んだ。
       風は優しいけれど、ゆきだるまの重たい体を運んではくれない。

       透明な息を吐き出して、ゆきだるまは厚い雲のむこうに輝く、白い太陽におじぎをしてみせた。
       太陽はいつも、広い空にぽつり浮かんでいる。

       「暑い春を、ここで待つよ。水になって雲になって、またふわふわ降ってくる」
       「うん、そうしなよ。ぼくは北でひらひら、きみもいつかふわふわ」




       そうして、春が過ぎ、夏になり―

       ゆきだるまの座っていた場所に、今はふたつの椿の若芽が、しゃんと明るく立っている。

      おわり。

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      キリ番2000でクマナ様にリクエスト"春に降る雪"を頂きました。
      クマナさん、申告ありがとうございましたv

      東北人には厄介な事に、非常に親しみのある「春に降る雪」。
      身近すぎて、重くてスキーには適さないだの、やたら現実的なイメージに随分悩まされました(笑)
      近いものほど見えないって、本当ですね…(←は?)

      でも、楽しく描かせていただきました。
      身近なものに目を向けるのも、こっそり面白いですね〜。