壊れていくこの世界で
届かぬ空へと手を伸ばすように、高くそびえ立つ灰色のビル。 玩具のように小さな車がミニチュアのような街を走るのを、彼は毎日見ていた。 それに飽きると見上げるのは、天窓のフレームに切り取られた四角い空。 体を病が蝕むように、空は日に日に汚れていく。
数年前から少年の身の回りの世話をし、ほぼ唯一の話し相手をしてくれてきた優しい女性。
年齢の割には小柄で頼りないその体は、外の空気を舞う脆弱な細菌にさえ侵され、命の危険にさらされる。 高層ビルの最上階にある眺めのいい部屋は、外へ出られない少年への、両親からのせめてもの贈り物。 空に近い無菌室は、遠くない日に天へ召されるであろう息子への、両親からの餞(はなむけ)。 望むままに与えられる本も、静かなこの部屋も、息子を見捨てた両親の、痛む良心を慰める常套手段。 悲しげに顔を曇らせた若い女性に、少年は慌てて笑いかけた。
「空を?」 「うん。ちゃんと外に出て、空気に晒されて、陽の光を浴びながら」
彼女に対する自分の想いが憧れや親しみでない事も、その想いの総称も少年は知っていた。
その笑顔を曇らせるくらいなら、自分の想いに蓋をする事くらい容易い。 守ってあげる事も、一緒に街を歩く事も、買い物に行って荷物を持ってあげる事も出来ないのだから。 おそらく遠くはない自分の死が、自分の消えた世界を歩き続ける彼女の心に、暗い影を落とすくらいなら。 ―気持ちなんて、いくらでも呑み込める。 少年はもう一度、空を見上げた。隣に座った愛しい女性も、静かに空を見上げた。
自分と世界と、どちらが先に壊れるのかは判らないが、 天窓から差し込む光に照らされた彼女の笑顔は、こんなにも美しい。だから少年は、声を呑み込むのだ。 壊れかけたその体で、壊れていくこの世界で。 少年は明日も、四角い空を見上げる。
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3rd囁きピエロ、[壊れていくこの世界で]。
年上に憧れる少年を描いてみたかったのですが、憧れ以上の感情に発展していました。
同じ囁きピエロ内に、続編がございます。
全3話構成、よろしければ、そちらも合わせてご賞味ください。
05.04.
◆初話「壊れていくこの世界で」◆次話「ANSWER」◆最終話「クリア・スカイ」◆