そらへ/Dreamy Box

 届かぬ空へと手を伸ばすように、高くそびえ立つ灰色のビル。
その中でも一際高いビルの最上階、天窓越しに晴れた空を見上げる少年がいた。

 玩具のように小さな車がミニチュアのような街を走るのを、彼は毎日見ていた。

 それに飽きると見上げるのは、天窓のフレームに切り取られた四角い空。

 体を病が蝕むように、空は日に日に汚れていく。


 「また空を見ているの?」


 小さな鈴が鳴るような優しい音色の声に、少年はようやく空から目を離した。

 数年前から少年の身の回りの世話をし、ほぼ唯一の話し相手をしてくれてきた優しい女性。
彼女の陽だまりのような温かい笑顔が、少年は大好きだった。


 「空は面白いね。色々なことが判る。ここから出られなくても…ね」


 半世紀ほど前から、時折極端に抵抗力の弱い子供が生まれており、既に社会問題になりつつある。
少年もその一人だった。

 年齢の割には小柄で頼りないその体は、外の空気を舞う脆弱な細菌にさえ侵され、命の危険にさらされる。

 高層ビルの最上階にある眺めのいい部屋は、外へ出られない少年への、両親からのせめてもの贈り物。

 空に近い無菌室は、遠くない日に天へ召されるであろう息子への、両親からの餞(はなむけ)。

 望むままに与えられる本も、静かなこの部屋も、息子を見捨てた両親の、痛む良心を慰める常套手段。

 悲しげに顔を曇らせた若い女性に、少年は慌てて笑いかけた。


 「ねぇ、もし世界に終わりが来たら、一緒に空を見てくれるかな」

 「空を?」

 「うん。ちゃんと外に出て、空気に晒されて、陽の光を浴びながら」


 それとも、と彼は肩をすくめた。


 「それとも、一緒に過ごしたい人、他にいる?」


 彼女は優しい。そして、若く美しい。外の世界に恋人がいても、不思議ではない。

 彼女に対する自分の想いが憧れや親しみでない事も、その想いの総称も少年は知っていた。


 「…ええ、きっと一緒に見ましょ、ね?」


 やわらかな微笑みに、少年も微笑んだ。彼女の笑顔が、彼は何よりも好きだった。

 その笑顔を曇らせるくらいなら、自分の想いに蓋をする事くらい容易い。

 守ってあげる事も、一緒に街を歩く事も、買い物に行って荷物を持ってあげる事も出来ないのだから。

 おそらく遠くはない自分の死が、自分の消えた世界を歩き続ける彼女の心に、暗い影を落とすくらいなら。

 ―気持ちなんて、いくらでも呑み込める。

 少年はもう一度、空を見上げた。隣に座った愛しい女性も、静かに空を見上げた。

 
 「…ね、空を見て判ることって、どんな事?」


 質問に答えかけて、しかし思い止まったように少年は、年相応の悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 
 「秘密」


 居弱体質な新世代の生命。にごる空気、日に日に汚れる空。世界の終わりは、きっとそう遠くない。

 自分と世界と、どちらが先に壊れるのかは判らないが、
どちらにしても、この優しい女性はそれを憂い、悲しむだろう。

 天窓から差し込む光に照らされた彼女の笑顔は、こんなにも美しい。だから少年は、声を呑み込むのだ。

 壊れかけたその体で、壊れていくこの世界で。

 少年は明日も、四角い空を見上げる。


Fin.


3rd囁きピエロ、[壊れていくこの世界で]。
年上に憧れる少年を描いてみたかったのですが、憧れ以上の感情に発展していました。

同じ囁きピエロ内に、続編がございます。
全3話構成、よろしければ、そちらも合わせてご賞味ください。

05.04.

◆初話「壊れていくこの世界で」◆次話「ANSWER最終話「クリア・スカイ

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