クリア・スカイ ※この話は、微妙に下記二編の続編です。

初話「壊れていくこの世界で次話「ANSWER


 真っ白な無菌室の中、小さな空を見上げ、先の見える命で、それでも青白い顔で微笑んでいた少年。

 彼の魂がこの世界から消えて、何度目の夏が訪れようとしているだろう。

 優しげな、しかしどこか悲しげな雰囲気を(まと)った若い女性が、
窓から薫る、初夏の青々と輝く風に長い髪をなびかせ、高いビルの最上階に立っていた。

 かつては、窓も扉も(かたく)なに閉じ、ひとつのか弱い命を細菌から守っていたこの部屋も、
使う者のいない今では、必要以上に開け放たれている。

 真っ白な部屋、転がる本とぬいぐるみ。ぶ厚い本のページがパラパラと風に踊り、挟まれていた(しおり)が舞った。
 もう誰も使わないベッドは、柔らかな風に寂しげに吹かれている。

 「ねぇ…」

 ヘイゼルの瞳に少年の失われた景色を映し、女性は微かに微笑んだ。

 「あなたは、幸せだった…?」

 天窓越しに四角い空を見上げて、ミニチュアのような世界を見下ろして。憧れと絶望を抱え、外に焦がれて。
 日に日に弱っていく体と、確実に零れ落ちゆく命に、追い立てられるように生きて。

 ―風。床に置かれた花束と真新しい本のページが、サラサラと揺れる。

 「…貴女(あなた)の幸せを望んでいたよ、彼は」

 いつの間にそこに居たのか、天窓の真下で、青年が静かな声で告げた。

 若い女性は、戸惑ったように彼を見つめていたが、やがて口を開いた。

 「あなたが、あの子の最期を?」
 「本当はオレの役目じゃなかったんだけれどね。彼は最期まで、とても綺麗だったから」

 空気が流れるような、重みを全く感じさせない足取りで、青年は床に転がるぬいぐるみを拾い上げた。

 「あなたは…天使?」

 (かが)んだ青年の胸元から、一枚のタグが零れ落ちた。
 青年の首に鎖で繋がれた淡い虹色のそれは、ただ静かに揺れている。

 「私は…あの子の願いを叶えてあげられなかった。
  世界が終わる時は、一緒に空気に晒されて、陽の光を浴びて、空を見ようって約束したのに…」

 細く白い手で顔を覆い、彼女は柔らかなラインを描く肩を震わせた。

 彼女がこの部屋に駆けつけた時、少年はもう瞳を閉ざし、幕を引き終わっていた。

 ―間に合わなかったのだ。彼の"世界の終わり"に。

 少年の安らかな顔も、澄んだ空の青さも、彼女の救いにはならなかった。
 その優しい心に刻まれたのは、海よりも深い、後悔と悲しみ、自責の念。

 ひとつ、ふたつ。白い床に、涙が落ちる。

 「キミはオレを、天使と呼んだね」

 彼女の悲しみの涙など、誰も望んでいない。
 青年の望みは、生命を狩り、命の証"アニマ・タグ"を持ち帰る事だけだ。

 「ならオレは、さしずめ告死天使(アズラエル)だ」

 青年の、彼女にかざした手から何が放たれたのか、誰にも分からなかった。
 だが、確かに何かが放たれ、それは彼女を貫いた。

 崩れるように床に倒れた女性に、虹色のアニマ・タグが微かに揺れる。

 「…これでキミは、また一人死んだよ」

 倒れた女性の胸は、その呼吸に合わせ、ゆっくりと上下している。

 「目覚めた時、彼女の中にキミはいない。綺麗に消えているはずだよ、君の望み通りに。
  ―でも」

 青年は無表情に、ベッドの上にぬいぐるみを置いた。

 「でも…本当にこれで良かったのかい?」

 人の為に己の存在を消して…記憶の中からさえも、綺麗に消え去って。

 後に残るのは、もう誰も少年の為に訪れることのない、白い部屋。

 青年は、ゆっくりとした動作で、首にかけた虹色のタグの鎖を外した。
 女性の柔らかな手にタグを持たせかけ―しかし、再び己の首にかけた。

 「彼女の幸せには、キミは要らないだろうけれど…オレには、まだキミが必要だからね」

 虹色のタグに軽く(くちびる)を押し当て、青年は満足そうに、その姿を消した。

Fin.


14作目[クリア・スカイ]でした。
3作目[壊れていくこの世界で]、11作目[ANSWER]を経て、辿り着いた結末。
単体でも読めるように気を付けましたが、大丈夫でしょうか。

今回は告死天使、アズラエル。
アズライル、アシリエル、アズリエルと同じです。死の天使。

04.02.


初話「壊れていくこの世界で次話「ANSWER◆最終話「クリア・スカイ」◆


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