◆第一章/十一年越しの再開◆ scene1


局部的な地盤沈下に遭い、廃墟と化した街。見捨てられたその街に、かつての繁栄は見えない。
今ではそこは犯罪者の巣窟となり、近付く者もない―はずの場所で、地面を睨む人影があった。

日暮れに舞う風と埃に、濃茶色の髪が揺れる。
じっと地面を睨みつけていた少年の碧眼が、はっと見開かれた。

「アイス」

瓦礫の影に潜むように落ちていた、薄汚れた御守り。
今にも千切れそうな紐を無造作につまんで、セシルはぷらぷらとそれを揺らした。

セシルの声に、注意深く地面を睨んでいた青年が顔を上げる。
紺色の髪を皮手袋の手でかき上げ、黒い目に御守りを捉えて、そうしてようやく彼は破顔した。

「あ、見付かった?じゃあ任務完了。面倒ごとに巻き込まれないうちに、さっさと引き上げましょ」

文化の発展に貢献し、そして汲み尽くされた資源―石油。
石油が失われた世界は、一時的ながらも混乱の一途を辿り、今なお深い傷痕を残している。
激しい貧富の差と、昼夜を問わぬ治安の悪化―彼らが今立つ廃墟は、法でさえ存在しないに等しい。

周囲を見回し、もう一度セシルの手の中の御守りに目をやって、アイスは息を吐いた。

「しかし、落とした御守りを探してくれーなんて依頼、11年リーパーやって初めてですよ。
 ここの元住人だって言ったっけ、クライアントさんって」

「どうしても持ち出したい物があって、来て…その帰りに落としたとかで。
 護衛にも、二度目は断られたって」

「それでリーパーに、ってか。まぁ、護衛さんだって、危険区域は避けたい場所だろうからねぇ」

刈り取る者、リーパー。
正義に基づいて働く救世主と崇める者も、金次第で何でも引き受ける野蛮な連中だと蔑む者もいる。
セシル・アンダーソンとアイシア・ウィリス、彼らも、そのリーパーの一人だった。

「…これ、大事な人の形見だって」

セシルの脳裏に浮かぶのは、病気がちだった弟を連れて、病院へと向かった両親。
記憶はもう薄く剥がれかけてはいるが、彼らが帰らないと知ったあの日の痛みは、今も疼いている。
ただ一人、遺体の見付からなかった弟は、きっとどこかで生きている―それだけを信じて生きてきた。

失う痛みは、嫌というほど知っている。
依頼人のその痛みを和らげられたなら、自分のこの痛みも、少しは緩和されるかもしれない。

「ま、とにかく帰りましょ。こんな所に長居してたら、余計な闘争に巻き込まれ…、もう遅いか」

ため息混じりこぼしたアイスの背後で、瓦礫が崩れた。
静寂と夕日と埃だけが満ちていた廃墟に、湧くように現れた無数の人影。囲まれている。

皮手袋をはめ直したアイスを目の端に、セシルは慣らすように肩を軽く回した。
張り上げずとも、声の届く位置にいる一人に向かって、アイスがいつものように緩い仕草で笑いかける。

「俺たち、どう見ても金持ちには見えないよねぇ。すると、お兄さんたちの目的は…内臓とか?」
「そうだな、アンタからは内臓を貰うよ。そっちの小さいのは、そのまま売れるかもな」
「あらら、俺だってまだまだイケるつもりなんだけどなぁ」

軽口を叩きながら、アイスは器用に相手の位置と数を把握していく。
セシルは彼ほどの器用ではないし、経験も足りない。ゆっくりと視線を巡らせ、出来る限りの把握を試みた。
見えるだけで8人、飛び道具は見当たらない。

[銃]と呼ばれた武器は、半世紀前に一般市場から撲滅され、今では目にする事も少ない。
それでも、ナイフを始めとする投擲武器を隠し持つ者はいる。警戒を怠るのは危険だった。

「セシルー、どうする?お兄さんたち、俺たちが欲しいって」
「嫌だ」
「だってさ、お兄さん方。もう帰るところだし、見逃してくれません?」

言い終わる前に、アイスが微かに上半身を傾ける。
空気を切り裂く、小さな音。

アイスの背後、10メートル。夕日を手にした影の手には、小さなナイフが光っていた。

それが再び影の手から離れる前に、アイスが距離を詰める。
無防備になるその背中に、セシルが立った。

アイスの元で戦闘技術を学び、仕事を学び、生き方を学んできた。
彼に背中を任されるようになったのはごく最近―認められたかのようで、ひどく嬉しい。

向かってきた一人の拳を避け、腹に拳を突き出す。
腹を押さえて倒れる体の背中を掴んで、手近な一人にぶつけるように押しやった。

目の端に光る3本のナイフ、捌き切れるか考える前に、一番近い一人をアイスが足を払い、打ち倒した。
同時に掛かってきた二人のナイフを避け、横から拳を叩き込む。よろけた体をアイスが蹴り飛ばした。
隣に居た男が巻き込まれて倒れ、ガツンと鈍い音が響いた。瓦礫はそこらじゅうに落ちている。

「お兄さんたち、まだ諦めない?もうムリでしょ、やめましょうよ」

アイスが苦笑して、距離を置きながらも攻撃の構えを解かない数人に話しかけた。
全員を打ち倒したところで、彼らは彼らの生活を変えはしない。この街は死んでいるのだ。

アイスが続ける。

「俺はこんな優男で、こっちはこんなチビだけど、これでもリーパーなんですよ。
 これ以上やりあっても無益だし、俺たちももう用は済んでるし、黙って帰らせてもらえません?」

「帰る」の一言に、この街の住人の、疲労が色濃く浮かんだ浅黒い顔に、微かに安堵の色が浮かんだ。
彼らは凶暴である以上に、臆病だった。だからこそ、この廃都にしがみ付いているのかもしれない。

「…見逃してやる。さっさと帰れ」
「はーい、ありがとう。さ、帰りましょ」

ポケットに放り込んだ依頼の品の存在を確かめて、セシルはアイスの後を追った。
沈んだ街と外界とを繋ぐ瓦礫の端の向こう、緋色の太陽が沈んでいく―ゆっくりと。



モドル ススム

→GO TO PRIVATE ENEMY TOP