◆第一章/十一年越しの再開◆ scene2


サウスクラウン地区の街はずれに、その古い建物は、ひっそりと建っている。
様々な人間からの依頼を仲介しリーパーに与える場所、ギルド。

比較的治安に恵まれたこの地域では、夕刻を過ぎる頃にはギルドも人が減る。
古びた扉ごしに聞こえてくる物音は、普通の家と変わらないほどに少ない。

「さて。お兄さんはお仕事終了の報告に行きますけど…セシル、どうする?お前も来る?」
「別の報告、行ってから来る」
「ああ、親御さんの所?分かった、気をつけて行ってらっしゃい」

ぽんぽんと頭を軽く叩かれて、セシルは素直に頷いた。
ギルドの扉を押すアイスの背中を目の端に映しながら、踵を返し郊外へと続く道を歩き始める。

家族を失い、引き取られた伯父の家で虐待を受け、ついに飛び出した十一の誕生日。七年前の雨の日。
傘も行く当ても持たずに、ただ両親の墓の前に佇んでいたセシルの頭上に、ふいに影が差して雨が止んだ。
傘を差し出し、人懐っこい笑みを浮かべたアイスは、捨て猫でも拾うように至極軽い口調で言った。

『行く当てがない?じゃあ、お兄さんの家に来る?』

見知らぬ人間の好意を素直に受けられるほど、当時のセシルは他人を信用していなかった。
言葉を探す彼に、アイスはしゃがんで視線を合わせて、やはり笑った。

『とりあえず、この雨が止むまで。気が向いたら、その痣が消えるまで。もっと気が向いたら、一人立ちできるまで。
 お互い嫌じゃなければ、その先も同居人。気に入らなければ、いつ出て行っても構わない。どうだ?』

どうしてそこまでしてくれるのか。
そう尋ねたセシルの頭を、アイスはくしゃくしゃと撫でた。

『お兄さんも昔、ある人にそう誘われたんだ。で、そのお陰で今もこうして生きてる』

雨が止むまで。淹れてくれたココアが美味しかったから、痣が消えるまで。心地良かったから、一人立ちできるまで。
居場所を与え、人の温かさを思い出させ、生計を立てる術を、世を渡る知恵を授けてくれた。
セシルにとって、アイスは厳しい師であり、同時に温かい兄だった。

思考を遮る足音。顔を上げると、見慣れた長身のシルエットが、何かを抱えて走ってくる。
アイスがセシルをそうしたように、かつてアイスに手を差し伸べたと聞く、古参のリーパー。
セシルに気が付いて、彼は結んでいた口を開いた。

「セシルか、ギルドマスターはギルドに居るな?」
「多分。メル、それ…」

メルの腕、大きなコートに包まれた体は、ぐったりと弛緩している。
コートの端から覗く顔は、素人目から見ても酷く白い。

「そこで倒れていた。セシル、墓参りか?」
「あ…ああ、そうだけど」
「済んだら、一度ギルドに来い。話がある」
「…?分かった」

墓地に向かいながら、セシルは行方不明の弟の事を思い出していた。
写真ひとつ持ち出せず、記憶の中にのみ留める、今ではもう淡い影。

メルに抱えられていた少年。生きていれば―いや、どこかで今、あれくらいになっているだろう。

四年前にリーパーの資格を得て以来、セシルは職権を利用して、各地のギルドに行方不明の弟―
ラスティアの情報を求めた。
だが、一度たりとも情報が入ったことはない。デマさえも届く事はなかった。

それでも、死んでいるとは思いたくない。
弟の生存だけを生きる理由と望みとした頃は過ぎ、己の意志と足で立てるようになった現在でも。

墓地と外を隔てる白い門を潜り、薄暗い道を辿る。目を瞑っていても、両親の墓までは辿り着けるだろう。
雲の切れ間から覗いた月に照らされて、墓標は薄闇に白く浮かび上がった。

墓標に刻まれた両親の名を指でなぞり、冷たい石にそっと額を当てる。

祈りの言葉は知らない。代わりに、一日の出来事を報告する。可能な限りは日に一度、少なくとも週に数回。
今日受けた依頼。アイスと話したこと。ギルドの温かい仲間。メルの腕に抱えられていた病人。

子供の目から見ても、彼らは仲の良い夫婦だった。二人で眠っていれば、寂しくはないだろう。
けれど、ひとり生きている自分は、ほんの少しだけ寂しくなるから。

「…また来るよ。おやすみ、父さん、母さん」

もう一度刻まれた名前に触れて、セシルは墓地を後にした。



モドル ススム

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