◆第一章/十一年越しの再開◆ scene3
セシルがギルドの扉を押すと、カウンターの中の初老の男性―ギルドマスターが短く指を動かした。
重要な、けれど個人的な話がある時の、マスターの動作だった。
何か問題でもあったかと、セシルは先刻アイスと共に済ませた依頼を思い出した。
報告はアイスに任せたし、依頼の品も破損は無かった…と思う。間違えて持ち帰ったのだろうか。
物騒な事件に関わる事も多いリーパーを纏める立場上からか、厳格な雰囲気を纏う彼の表情は、元々読み難い。
感情を探る努力を放棄して、セシルは黙ってマスターの低い声に耳を傾けた。
「セシル、落ち着いて聞け。セントラル地区から連絡が入った。
一昨日、ラスティア・アンダーソンと名乗る者が、お前を訪ねたそうだ」
心臓が不自然な音を立てた。
生きていた。いや、本人かどうか、まだ判らない。
「年は十六、銀髪碧眼。体格なども届いてはいるが―」
「…、今は、どこに」
ようやく絞り出した声は、変に掠れていた。
セントラル地区のギルドからこのサウス地区のギルドまで、交通機関を使えば一時間程度だ。
一昨日。遅すぎる。何かあったのか。
だが、マスターはそれには答えず、灰色の瞳を真っ直ぐにセシルに向けた。
「先刻、メルには会ったな?」
「会ったけど…」
「病人を抱えていただろう。今は仮眠室にいる。メルとアイスも一緒だ、行ってみるといい」
「…まさか」
「確証はない。別人の可能性もある…ただ、ここを目指して来たとは言ったらしい」
返事をすることさえ忘れて、セシルは弾かれたように床を蹴った。
関係者以外立ち入り禁止のプレートを掛けられたドアを乱暴に開け、短い廊下を全速力で抜ける。
外や店内の喧騒が届かない分、その足音は酷く響いたが、セシルの耳には入らなかった。
仮眠室の木製のドアを、もどかしく開ける。
壁に寄りかかったアイスと、ベッド脇の椅子に座るメルが、苦笑して顔を見合わせた。
「セシルくん、いらっしゃーい。でも病人が寝てるから、静かにしようね」
ベッドに横たわる影と、口の前で人差し指を立てるアイスを見比べて、セシルは息を吐いた。
首輪状のアクセサリ、その後ろから垂れ下がる銀のチェーンが鳴らないよう、首に緩く巻く。
その作業に少しだけ落ち着きを取り戻して、セシルはもう一度ベッドへと視線を移した。
「ラスが、見付かったかもしれないって…ここにいるって、マスターが」
メルが体をずらす。彼の体に阻まれて見えなかった病人の顔が、セシルの目に映った。
白い顔。柔らかそうな銀髪が、枕に緩く散っている。
アイスに水を差し出されて、セシルはようやく己の喉の渇きに気が付いた。
「どうだ?この子がキミの弟くん…"ラスティア"くん?」
「…わからない。似てる…とは思うけど…」
十一年の歳月は、セシル自身の姿を変えたように、弟の姿も変えているだろう。
それでも、時に晒されるままに薄れてしまった家族の姿を思い出そうと、セシルは眉を寄せた。
家族を失った日。
当時七歳だったセシルには、住む者のいなくなる自宅の事など、考える余裕も知恵も無かった。
伯父の家に引き取られた時、家族の遺品や写真を持って行こうなどという知恵は回らなかった。
覚えているのはただ、大好きだった両親と弟が突然消えたという現実と、心の中が空っぽになった感覚。
家族には二度と会えないと言い放った伯父の配慮のない言葉に、甘く幼い幻想さえも砕け散った。
唯一確かな弟の影は、セピアがかった記憶の中で、ただひとつだけ鮮明に浮き上がる色。
鏡を見ればいつでもそこに見える、母親譲りの、青い瞳。
「…気が付いたか?」
メルの低い声に、セシルは落としていた視線を上げた。
心臓が、再び不自然な音を立て始める。
メルに背を支えられて身を起こした少年は、青い瞳で部屋を見回し、一番近くにいたメルを不安げに見上げた。
かろうじて色を取り戻した唇がゆっくりと開き、明らかな戸惑いを浮かべた声を紡いだ。
「あの…ここ、どこですか?僕は…」
「サウスクラウンのリーパーギルドだ。この近くで倒れていたのを、ここまで運んだ。覚えているか?」
「サウス…あ、そうだ、セントラル地区で…ここに…」
口元に手を当て、記憶を呼び起こすように考え込みかけた少年の頭を、アイスがポンポンと撫でた。
「まぁまぁ、それはひとまず置いといて。キミ、お名前は?」
軽いアイスの口調を聞きながら、セシルは酷い緊張に眩暈を覚えた。
リーパーになった理由さえ、生きているのかすら不明瞭な弟を捜す、ただそれだけの為だった。
彼らの様子の不自然さに気付いたのか、僅かに首を傾げて、それでも少年は自分の名を口にした。
「ラスティアです。ラスティア・アンダーソン…あの、ここ、サウス地区…なんですよね。
僕、セシル…兄に会いたくて来たんです。セントラル地区のギルドで、ここにいるって聞いて」
目の前が一気にぼやけて、セシルは目の前にいたアイスの背に額を押し付けた。
「セシル?」
「ダメだ…俺、泣く…」
アイスが苦笑したのが、漏れた息の音で分かった。
アイスの声が、彼の背中越しに耳に入る。
「えーっと、ラスくん、でいいかな。お兄さん、いるにはいるんだけど」
「会えないん…ですか…?」
「大丈夫、会えるよ。
今ちょっと、目が大洪水起こしちゃってるみたいだから…落ち着くまで待ってやってね」