◆第一章/十一年越しの再開◆ scene6


アイスが生活する部屋と、かつてセシルがアイスの元で厄介になっていた時に宛がわれた部屋の間に位置する、
504号室。特別な来客や事情がある時しか使われないその部屋の生活感は、さすがに薄い。

「………」

洗い直し水滴の残っていたそれぞれのカップに注がれた紅茶は、とうにぬるく冷めていた。
それなりの経験を経てきたセシルはおろか、彼以上に様々な経験を積んできたであろうアイスとメルでさえ、
言葉を失っていた。

アンダーソン夫妻とその次男ラスティアの乗る車の前に、黒づくめの男が立ち塞がった。
事故かガス欠か―とにかく助けが必要なのだろうと判断した夫妻は、車を止めた。
窓を開け、男に声を掛けたアンダーソン氏の頭を、軽い音を立てて何かが貫通した。
叫び声を上げた婦人の頭も、彼女側の窓ガラスをも貫き、貫通した。

運転席の窓から黒い手袋に包まれた手が伸びて、後部座席の扉の鍵を開けた。
その手に腕を掴まれて、ラスティアは車外に引きずり出された。

長く黒いコートを纏い、目深に被った黒い帽子から覗く顔は、薄汚れた包帯に覆われて。
恐怖に救いを求めて振り返った瞳に映ったのは、座席にぐったりと身を沈めた両親の、紅く染まった頭。

体の芯から涌き上がる冷えきった感情と震えを、セシルは拳を握って耐えた。
見てもいない光景が、体験したばかりの記憶のように、鮮明に浮かぶようだった。

苦渋を顔に浮かべたまま、メルが独り言のように呟いた。

「銃か…?ここ20年は話すら聞かなくなっていたが」
「半世紀前くらいでしたっけ?銃の所持が全面禁止されて、大々的に回収されたのって」
「高額での回収と厳しい取り締まりで、禁止令から30年ほどで銃犯罪もほとんど無くなったと聞くが…」
「作り手もいないだろうしねぇ。そこから犯人の所在を洗い出す…なんて、今となっては無理だよねぇ」
「銃器購入時の登録を元に回収したと聞く。それを逃れたくらいだ、まず無理だろうな」

メルとアイスの会話が、セシルの耳を素通りしていく。
優しかった両親、家族4人で過ごした幸せな日々。それを砕いた者。

「…セシル?大丈夫?」

気遣うような声に顔を上げると、弟の青い瞳が心配そうに覗き込んでいた。
セシルが短く返事をして笑って見せると、安心したように、ラスティアも薄く笑った。
弟は帰ってきて、今、目の前にいる。その事実に、波が引くように冷たい感情が消えていく。

「ねぇラスくん。その黒長い人の他には、誰もいなかったの?」
「もう1人、白衣かな…白い服を着た、小柄な人がいました。黒い人に何かを言っていたように見えたけれど…
 ごめんなさい、あとはあまりよく覚えていません。気が付いた時には、あの白い部屋にいて…」

それから11年の歳月を、ラスティアは窓も扉もない、その白い部屋で過ごした。
食事や薬や衣類―物資は全て小さなエレベータで届けられ、人が入ってくることは一度も無かった。

「ノートパソコンを与えられて、それを通して色々学びました。語学、数学、物理、化学、医学、
 歴史や機械工学…格闘術は実践だったけど、その相手もアンドロイドで」
「アンドロイド…って、あの機械の?」
「はい。実際に分解したワケじゃないけど…作り方も学んだので、たぶん間違いないと思います。
 車を襲った黒い人も、アンドロイドだったのかもしれないけど…はっきりとは覚えていなくて」
「なんていうか…にわかには信じがたいと言うか…あ、ラスくんの話がじゃなくて、アンドロイドさんがね?」

アイスの言葉に、ラスティアは不思議そうに首を傾げた。

「え…ええと、アンドロイドって普通に居るものじゃないんですか?」
「お兄さんの知る限りじゃ、ちょっと居ないかな。でも、作り方を学んだって事は…ラスくんも作れる?」
「設計しかした事ないけれど…設備と材料と時間があれば、たぶん」
「うわぁ…何だか凄まじい相手だねぇ。その、キミを閉じ込めてた人の名前とかはさすがに知らない?」

緩く首を横に振って、ラスティアは目を伏せた。
その指先が自分の袖の端を掴むのを、セシルは不思議な気持ちで眺めていた。
古い記憶と変わらない弟の行動を目にするたびに、記憶の中の姿と現在の姿が重なっていく。

メルが、おもむろに低い声で尋ねた。

「どうやってその部屋から抜け出したんだ?」
「マスター…僕に知識を与えてくれた人が、一時期、別人みたいにすごく優しくなったんです。
 その時に、脱出路の確保や追手を止める方法、その為の技術も教えてくれました。セシルを訪ねる方法も。
 自分が今の自分でなくなった時に、僕が自力で逃げられるようにって言ってましたが…」

ふいに鳴った電話に、その場に居た全員の顔が上がった。
電話の側にいたメルが、あたかも自宅のように電話に出る姿を見て、アイスが苦笑する。

「…メル?どうした?」

引き締められたメルの表情に、アイスが顔を曇らせた。
きょとんとした顔で自分を見上げた弟に短く頷いて見せて、けれどセシルの胸中にも不安が涌き上がる。

電話のスピーカーをオンにして、電話の主にメルが厳しい声を出した。

「繋いだ。これで答えられるだろう…何の用だ」
『セシル・アンダーソンくんもアイシア・ウィリスくんも、こんばんはぁ。お変わりないですかぁ?』

男とも女とも区別の付かない飄々とした声に、一瞬で心が冷えるのをセシルは感じた。
温かみを完全に消した声で、メルが追い立てるように尋ねた。

「何の用だ、と聞いたんだ。聞こえなかったのか」
『怖いなぁ、メルさんは。亡くなられた奥さんと娘さんに怖がられちゃいますよぉ?
 私の玩具がそちらにお邪魔してるでしょ。近いうちに引き取りに行きますが、歓迎会は要りませんから』
「何の事だ」
『やだなぁ、すっ呆けちゃって。そうそう、ラスティア?素敵な置き土産をありがとう、お陰で随分と予定が
 狂いましたよ。お兄さんとの再会も果たせたようですし、満足したでしょう。大人しく戻ってきなさい、
 そうすればお仕置きは手加減して差し上げますよ。…私から逃げ切れるとでもお思いでしたか?』

びくりと肩を震わせて、ラスティアが表情を硬くした。
隣に座るセシルにも、痛いほどの緊張が伝わってくる。

無言で差し出されたアイスの手に、メルが受話器を渡した。

「ラスくんは渡さない。…今度こそ、終わりにしてやる」
『こんばんはぁアイシアくん。出来るものならやってごらんなさいな、キミたちは何度失敗しましたっけ?
 私が二度死ぬ間に、キミたちのお仲間は何人お亡くなりになりました?ホント懲りないねぇ。
 そうそう、婚約者のお嬢さんはお元気で―あぁ、私が殺したんでしたっけねぇ、あははは!』

ぶつりと音を立てて電話は切れ、部屋は静まり返った。
沈黙を破るように、ラスティアが震える声を絞り出した。

「僕が、安易に逃げ出したせいで…こんな…」
「お前は、悪くない。全部、あいつの仕業だ」

安心させようと背中を撫でてみても、弟の震えは止まろうとしない。
どれ程の恐怖が植え付けられたのか、想像するまでもない。セシルも聞いた事のある、電話の主の声。

重く沈んだ空気を吹っ切るように、アイスがいつもの笑顔を浮かべた。

「わざわざ予告してくれた事だし、何とかなるでしょ。それよりラスくん、責任とって奴の元に戻ろうなんて
 考えちゃダメよ?そんな事したら、キミの単純なお兄さん、無茶してでもキミを取り戻そうとするだろうから」

あらゆるリーパーが忌む宿敵。突如反旗を翻し、かつての仲間を急襲したという、元リーパー。
アイスの婚約者を、メルの妻子を、そしておそらく、自分たちの両親を奪った者。

「ラス、絶対に渡さない…安心していていい」
「…セシル…」

クウリオス。
脳に刻み込まれた敵の名が、セシルの脳内に反響するかのように浮かび上がる。

雨はまだ、地上を黒く濡らし続けている。



モドル ススム

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