◆第二章/春の夜、幸せな夢の如く◆ scene1
"クウリオス"と接触した。
そうアイスに告げられたサウスクラウン地区のギルドは、張り詰めた空気が立ち込めていた。
アイス達は昨夜、クウリオスからの電話の直後、マンションを出てギルドに戻った。
マンションの住人を巻き込まない為だけではない。
相手がリーパーの宿敵である限り、普通のセキュリティシステムしかないマンションより、
リーパーの常駐するギルドのほうが安全だった。
普段より出入りの激しいギルドの出入り口は、降り続ける雨の為、泥で無数の足跡が描かれている。
無造作にギルドの床に落とされる足跡をモップで拭き、金髪の少女は碧色の瞳を曇らた。
「止まないね、雨。モップかけても、すぐ汚くなっちゃう」
ぼんやりと窓の外を眺めていたセシルが、かすかに頷いた。
今朝方まで情報交換や収集をしていたアイスとラスティアは、まだ仮眠室で寝ている。
傍に居ようかとも思ったが、ギルド内なら安全だろうし、何よりさすがに退屈だった。
「あーあ、私もリーパーだったらなぁ…」
モップの柄に置いた手の上にあごを乗せ、ため息混じりに零した声に、セシルは視線を彼女へと移した。
ある事件に巻き込まれ、彼女―アイリスがギルドに駆け込んできたのは、もう半年前になる。
その時に両親を失い行き場を無くしたアイリスは、ギルドマスターの姪の元に身を置き、
現在はこのギルドで掃除を始めとする雑用を担当している。
遠く窓の外を眺めている彼女に、返答を気にする風は無い。
けれど、初めて聞くアイリスのその希望に、少しだけ迷ってから、セシルは口を開いた。
「…なんで?」
「データ処理とかは、リーパーじゃないとダメなんでしょ?ほら、マスター、機械弱いから…」
アイリスの視線を追うと、カウンターの中でパソコンを相手に苦戦するマスターの姿が見えた。
リーパーに関するデータの取り扱いは、リーパーでなくては出来ない。そういう決まりになっている。
見かねた数名が手伝いに入った事もあるが、あまりの煩雑さに、逃げ出すか追い出されるかだった。
続くアイリスの声に、セシルは視線を戻した。
モップの柄を弄びながら呟く彼女の頬が、薄く染まっている。
「それに、リーパーだったら…その、お手伝い出来るし」
「マスターの?充分してると思うけど」
「それもあるけど…その…。…な、何でもない、ごめんね、変なコト言っちゃって」
彼女の要請を受けて、セシルはアイスと共に彼女の両親を救うべく、彼女の両親の勤める研究所へ赴いた。
彼女をギルドへと走らせたその両親は、セシルらが駆けつけた時には、すでに息を引き取っていた。
それでも、未成年の上に混乱状態だった自分の話を聞き、信じ、現場へと向かってくれた事に酷く安心した。
後日アイリスはそう言っていたから、自分がされたように、誰かを助けたいのかもしれない。
そう納得したセシルに、今度はアイリスがくるりと視線を向けた。
「ね、セシル。その"クウリオス"って人、どうしてギルドと敵対してるの?」
「……」
「あ、それもリーパー以外には話しちゃいけないコト?」
「ごめん」
「ううん、仕方ないよ。ホントに制約多いんだね、私だったらうっかり話しちゃいそう…きゃ!?」
薄闇に包まれ始めた部屋が一瞬光った。わずかに遅れて、雷の音。
「やだ、雷嫌い…マスター、雷鳴ってるよー。大丈夫だとは思うけど、データ危ないかも」
各種依頼、名簿、クウリオスの情報。リーパーギルドでは、各地区のギルドと絶えず情報交換をしている。
時計は17時、おそらく一日のデータを入力している最中だろう。
バックアップを取るのを忘れ、数時間の苦労を水の泡にするマスターの姿を、セシルも何度か見ていた。
「早く機械に強いリーパーが見付かるといいね。情報処理専門!とかなら、私も試験受けてみるのにな…。
戦えなくちゃダメって、ちょっと厳しいよね」
リーパーは、クウリオスを仕留めなくてはならないから。
無意識に答えかけて、セシルは言葉を呑んだ。
制約の為だけじゃない。巻き込まない為にも、知らない方がいい。
「そうだ、お茶淹れて来るね。美味しいハーブティー貰っ…きゃっ!?」
ふいにギルド内の明かりが消えて、アイリスが短い悲鳴を上げた。
雷鳴は聞こえない。
外はかすかに薄明かりを残しているが、室内を照らしてくれるほどではない。
「アイリス」
「あ、ありがと、セシル…」
微かに見えたアイリスの白い腕を軽く引き寄せると、その腕が服の端を掴んだ。
闇を恐れるような歳でもないが、湧き上がる胸騒ぎに、セシルは眉を寄せた。
「停電?どこかで雷、落ちたのかな?」
アイリスの声にも、不安が混じっている。
カウンターの向こうに灯った小さな灯りが、ゆっくりと近付いてきた。
聞き慣れた、マスターの低く落ち着いた声。
「二人とも、大丈夫だな?」
「うん、ちょっとびっくりしたけれど…私もセシルも平気だよ。ね?」
「あ?…ああ。マスター、この停電…」
「ああ、おかしいな。予備電源も入っていないらしい。セシル、ラスティアの所に行ってやれ。
アイスが一緒だから問題は無いと思うが、心配だろう」
マスターに懐中電灯を手渡され、少し迷いながらも、セシルは頷いた。
ギルドの周囲は今、リーパーが交代で見回っている。
外ならともかく、ギルドの中で危険があるとは考え難いが、心配じゃないと言えば嘘になる。
「アイリス、手伝ってくれ。配電盤を調べてみよう」
「あ、はい。セシル、気をつけてね」
アイリスの言葉に、ああ、と短く返事をして、セシルは仮眠室のある奥のドアへと走り出した。