◆第二章/春の夜、幸せな夢の如く◆ scene3
「悪い、セシル…ラスティアを」
「アイスのせいじゃない。誰も悪くない…」
自宅のベッドの上で体を起こしたアイスの絞り出すような謝罪に、セシルは目を伏せた。
眠るアイスとラスティアを残し、仮眠室を離れたのは、間違いなく自分のミスだ。
ほとんどのリーパーが詰めたギルド。その状況に甘え、油断した。
アイスと、別室で発見された、仮眠室前の廊下に配置されていた者。
リーパー二名の負傷と、関係者一名の拉致。クウリオス絡みの事件としては、ごく僅かな被害だった。
それでも、リーパーの拠点であるギルドを、しかも警戒の敷かれた状態を突破された。その事実は重い。
セシルにとっては、更に。
数刻を経てようやく意識を取り戻したアイスの診察を終えて、メルが低く尋ねた。
「何が起こった?お前がここまで怪我をするなんて、初めてだろう。相手と状況を加味しても…」
「言い訳にしかならないけど、不意打ち喰らっちゃったんですよ」
アイスが目を覚ました直後に、停電は起きた。
念の為に予備電源のある医務室に向かおうと考え、寝惚けて足取りのおぼつかないラスティアを連れて、
廊下へと繋がるドアを引いた。
「そしたら、いきなり突き飛ばされて…とっさにブロックはしたけど、ラスティアを人質に取られて。
殺す気が無いのは判ってたから、奪回試みたんだが…そっちに気取られて、敵の数を見誤ったんだ。
背後から奇襲喰らって、結果ここまでボコられました」
アイスの、そのおどけた物言いの陰に見える悔しさに、セシルは己の手に視線を落とした。
蘇るのは、不自然に熱を持った、頼りない腕の感触。
ラスティアは頷かなかった。だから、手を放した。
そう理由を打ち立てながら、本当はあの不利な状況に、自分は最初から膝を折っていなかったか。
吹っ切るように吐いたアイスの短い息に、セシルは顔を上げた。
額の傷を覆う白い包帯が痛々しくて、眉を寄せずにはいられない。
それに気付いたのか、アイスが苦笑して肩を竦めた。
「で、どうするよセシル。ラスくんを取り戻しに行きますか?」
「アイス。一週間は安静にしていろと言ったばかりだろう。
右腕の打撲が酷いし、出血も多かった。普段通りに動けるとでも思っているのか?」
「そうは言ってもさぁ、こいつ一人ででも突っ込んでっちゃうでしょ。
ただの誘拐犯ならまだしも、相手はあのクウリオスなんだし。放っとけないでしょ」
相手がクウリオスでなければ、この手を放さなかっただろうか。
ぼんやりと浮かぶ疑問に、セシルは頭を振った。
手を放してしまった、それは事実だ。
「一週間で治るのか?」
「完治とまではいかないが、無茶をしなければ支障がない低度には回復するだろう。待てるな?」
「その方が、アイスにも俺にも…ラスにも、いいだろうから」
ラスティアとクウリオスの根本に流れる関係は、セシルには見当が付かない。
救出に失敗した時、ラスティアには危険が及ばないとは言い切れない。
確実に助ける為には、出来る限り万全の状態であったほうがいい。
メルが短く頷き、確認を取るようにセシルと視線を合わせた。
「他のリーパーに協力を求めるつもりは…無いんだな?」
「クウリオスを倒すか、ラスを助けるか…どちらかを選ぶ状況になったら、俺はラスを選ぶ。
他のリーパーにも、そうして欲しいって思う…でもそれは、誓約に反してるから」
ギルドに名を連ね、ひとつの誓約に同意して、初めて"リーパー"は存在を認められる。
道を誤ったリーパーは、リーパーが始末する。
その最中に犠牲となった者は少なくない。クウリオスを倒す、それはリーパーの悲願だ。
セシルの選ぶ行動は、間違いなくリーパーにあるまじき姿と言える。
「だから…アイスも、メルも」
「付き合う気も無しに、アイスの怪我が治るまで待てという話になると思うのか?」
「義務教育もサボりがちだったからねぇ。それで、どうやって居場所捜します?」
「ラスの残した情報が本当なら、おそらくそう遠くない位置にクウリオスの拠点がある。
裏付けは難しいだろうが…とにかく出来るだけ割り出してみよう」
「一週間の間に移動したりは…しないか、ヤツの性格じゃ」
「むしろ、発見されて喜ぶ性質だろう」
「歓迎準備して待ってるんだろうな…まぁ、あんまり相手にしなければいいって話か」
「殲滅となれば面倒だが、目下はラスの救出のみだ。なんとかなるだろう」
当然の顔で話を進める二人に、セシルは泣きたくなった。
アイスもメルも、かつて大切な人をクウリオスに奪われている。心を入れ替えるでもなく、
変わらずにのうのうと笑い続けるクウリオスの存在を、苦々しく思わないはずも無い。
それでも、セシルの私事を優先するばかりか、手を貸してくれる。
「…アイス、メル…」
「ん?礼ならラスくんを取り戻してから、ラスくんと二人で、ね。他の用なら聞くけど」
冗談の交じった、アイスの声。メルも苦笑を浮かべている。
喉まで出かかった言葉を飲み込んで、セシルはただ、短く頷いた。